表題の通りわたしは東日本大震災のあと、これから連載していくようなレポートを書いていました。マーケットに何が起こったのか、そのとき自分はどのような思いでどのような反応を示したのか、とにかく今まさに事実を書き残さななくては、いずれ風化し忘れてしまうという思いが強かったのを覚えています。
今回「ゑもんレポート日経225オプション取引戦略編」への再アップに当たって、原文の編集は最小限に留め、当時のリアルな息遣いをなるべく残すことに努めました。
なにぶん8年以上も前に書いたレポートですから稚拙な言い回しや、オプションに対する理解が浅い部分も散見されますが、それもこの物語の一部ということで、どうかご容赦いただければと思います。
また本レポート中に登場する人物は、当時のコミュニティの相場仲間の面々です。校正をしながら当時を思い返しておりますが、年月の経過で今となっては連絡の取りようがなくなってしまった方も多く、残念に思います。
もしどこかでこのレポートを見かける機会がありましたら、ぜひ「ギルド集会所」に遊びに来ていただき、声をかけてください。
・目次【あさぎうらの記憶-3.11東日本大震災の一週間】
・東日本大震災、日経CFDチャート時間足
・2011年3月11日(金)震災当日17時、4月限プット9000チャート
・2011年3月14日(月)寄付9:00 4月限コール10500円歩み値
※この画像とコメントは「ギルド集会所」の「松拓さま」から提供いただきました。ご協力に感謝いたします。ありがとうございました。
(以下、松拓さんのコメント)
私の記憶が曖昧なところはあるのですが、おそらく3/14の寄り付き後の写メだと思います。ストライクはCALL10500だったと思います。
東日本大震災が起きた時、私は仙台におりました。停電し、ネットも繋がらないままオプション口座(ひまわり証券でした)の確認をどうしようか土日あたふたしておりました。
月曜日、何とか電気が回復し、たまたま契約していたe-mobileのwi-fiが繋がったので口座を確認できたました。プット売りはもちろん被弾しましたが、売っていたCALLの損益が一瞬だけとんでもないことになり、慌ててマーケットスピードを確認してこの写メを撮った記憶があります。
(以上、「ギルド集会所」から転記ここまで)
※他にも当時の画像と一言コメントを提供していただける方がいらっしゃいましたら非常にありがたいです。ご協力よろしくお願いいたします。
・2011年3月15日(火)オプションボード、IV94.85(最高値はこのSSの約10分前)
日経平均先物の「セリングクライマックス」直後のオプションボード。日経平均先物は夕場にこのときの安値を更新しているが、IVは剥げていった。
・2011年3月18日(金)4月限プット8000日足チャート
※他にも当時の画像と一言コメントを提供していただける方がいらっしゃいましたら非常にありがたいです。ご協力よろしくお願いいたします。
(次号につづく)