ここまで震災後、週明け月曜日と火曜日のマーケットの動向を見てきました。マーケット以外の出来事も記録しておきましょう。
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(前号のつづき)
・商品棚から商品が消滅
世間では保存食の買い占め問題が顕在化してきました。買い占めと流通の遮断から、コンビニはもちろんのことスーパーの棚からは、水・米・カップラーメン・レトルト食品・缶詰・スナック菓子・ティッシュペーパー・トイレットペーパー・生理用品を始め、あらゆる生活必需品が消滅し、店内は照明の消された暗い店内に、空の陳列棚が整然と並ぶだけとなりました。なぜかコーラのペットボトルだけは売れ残っていました。
コミュニティの戦友であるF430氏に「米が手に入らない」というと、翌日に実家で作ったという高級米を30kgも送ってきてくれました。納豆・卵・牛乳は長くの間、全く手に入れることができなくなりました。
オイルショック時の映像のように、消費者がレジに殺到するような光景はみられませんでしたが、「静かなパニック」は確実に進行していました。ガソリンスタンドの油は底を付き、営業をしている店はどこにもありませんでした。
・銀行トラブル
みずほ銀行がシステムトラブルを起こしました。全てのATMが停止し、ネットバンキングも完全に機能を停止しました。翌週の月曜日まで復旧することはありませんでした。ゆうちょ銀行のシステムトラブルは限定的でしたが、完全復旧は週明けとなりました。
きっと取引口座への入出金ができなかった方も多いことでしょう。銀行口座はトレーダーの生命線です。わたしは全国に地域を分散して新たに地方銀行の口座を数行開設し、機動資金を分散することにしました。
・ACとSNS
テレビのCMは、スポンサーの広告自粛の影響から空いた枠にAC公共広告機構のCMがあてがわれました。ACの同じ内容のCMが何度も何度も繰り返し流されました。最後の「エ~シ~♪」という甲高い女性の声を何度も聞かされ、いい加減に耳障りだという苦情が殺到し始めました。この日からACのCMの最後に、「エ~シ~♪」と言わなくなりました。
「ツイッターは9.11で生まれ、3.11死んだ」という記事が話題になりました。ソーシャル・ネットワーキングの時代が終わりを迎えたという記事の根拠は、「情報共有の仕組みが、震災によりデマ拡散装置に変わった」ということでした。ツイッターで【拡散希望】と強調明記された情報は、悪質な100%デマ情報とされ、サイバー警察が捜査に乗り出し逮捕者が何人も出るという始末でした。
・計画停電
東京では23区を除外した東京電力の計画停電への不満が最高潮に達していました。わたしの自宅は23区内なので計画停電の地域から外れていましたが、「23区の電力を確保するために、他を停電させている」と責められました。
わたしは、この調子ではいずれ23区にも計画停電が来ると考え、ACコンバーター付きのバッテリーを購入しました。車のバッテリー上がりに使うようなヤツです。ネットや最寄りのホームセンター、メーカーには既に在庫がなかったので、コミュニティの戦友である熊本のめぐみ氏に頼み、店売りされていた最後の一台を宅急便で送ってもらいました。
・東京脱出
東京を脱出する人もいました。人気の脱出先は海外や関西方面です。東京駅は季節外れにもこんがり焼けたお金持ち風の男性が、明らかに盛り過ぎである髪のお姉さまを連れ、お盆並みに混雑していました。東海道新幹線の指定席はグリーン車まで満席でした。海外旅行のHISは、被災者の30日間海外滞在旅行ツアーをコミコミ5万円という格安で販売していました。
・山手線は「だいたい15分間隔」
節電対策で駅・電車内は昼間の照明は落とされ、車内放送は自粛していました。エスカレーターも停止しました。いつもなら3分おきにやってくる山手線は、「だいたい15分間隔」というアバウトな運行となりました。おかげで神サイトの一つであるYahoo路線の「到着時刻順で表示」は、全く使えないダメサイトと化しました。
・入場制限
多くの会社は従業員に今週いっぱいの自宅待機を指示していました。計画停電の時間になると電車は止まり、タクシー待ちの行列に3時間並ぶか、または歩いて目的地に向かうかを選ばなくてはいけません。電車が止まる時間が近づくと、駅の改札を抜けるのに「入場制限」がかかりました。人々がホームからこぼれ落ちるくらい殺到するからです。「入場制限」はディズニーランドとディズニーシーだけのものかと思っていました。
・灯火管制
デパート・小売店・飲食店は日が沈む18時にはどこも閉店しました。それに呼応するように街からは人が消えました。この時間になると山手線の駅のホームに必ずといっていいほど見ることができる、もんじゃ焼きは消滅しました。夜間の広告照明や大型ビジョンは完全に消灯、ひんやりと静まり返った東京の夜空では、星を見ることができました。
そしてこの頃、為替市場ではジリジリと円高が進行していました。
(次号につづく)
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