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Ep0036[連載04]【プラザ合意、竹下登大蔵大臣発言、ブラック・マンデー】

 
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Ep0033[連載01](目次)【マーケットを震撼させた歴史的事件と畏れーチューリップ・バブル、ミシシッピ計画、南海泡沫事件】
”貴族、平民、農民、職工、水夫、人夫、メイド、煙突掃除人、年老いたお針子までも、国全体が経済活動をそっちのけにして、チューリップ球根の投機に浮かれた。最初は「たかが玉ねぎの値段がこんなに高くなるのはお……

 

(前号のつづき)

 

Ep0035[連載03]【ニクソン・ショック、第一次オイル・ショック、第二次オイル・ショック】
(目次へ戻る) (前号のつづき) “ポジションを持ち続けていたら、数十万ドルの損失になっていたと思いますね。大引けまで相場は暴落し、ボラティリテ……

 

“特に分かりやすい例はブラックマンデーだ。この日、これといったニュースが伝えられた訳でもないのに、市場は23%も下落した” <ロジャー・ローウェンスタイン>

 

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プラザ合意

 

1985年9月22日(月)、当時のG5(先進5ヶ国蔵相・中央銀行総裁会議)が発表した、協調的ドル安誘導に関する合意。ニューヨークのプラザホテルが会場となった。発表内容は事前に決定済みであり、会議の所要時間は20分程度であったとされている。

 

変動相場制移行後、拡大を続ける外為市場が最初に経験した大暴落である。当時の米国は特に対日貿易赤字が膨らみ続けており、 ドル危機への発展を阻止するべく、実質的にドル円レートを大きく「円高・ドル安」方向に誘導するのが目的だった。日本国内ではこの合意がバブル景気の直接的な引き金となった。

 

発表直後から24時間で、ドル円レートは1ドル=235円から約20円下落した。およそ8.5%の下落ある。プラザ合意のインパクトが如何に強烈なものであったかがわかる。

 

当時のチャートを見ると、発表以前のドル円の変動幅は一日1.3円、0.5%ほどであり、非常に平穏なマーケットであったことがわかる。発表後の変動は以下の通り。

 

23日(火) 242.02~231.90 ↓10.12円

24日(水) 230.22~229.80 ↓0.42円

25日(木) 229.85~226.90 ↓2.96円

26日(金) 229.82~220.30 ↓9.52円

 

翌週の最安値は212.79に達した。

 

プラザ合意以降、マーケットはG7に注目するようになり、また要人発言にも敏感になった。ディーラーはニュースをいかに早く入手するか、そして速報に素早く反応することがカギとなった。

 

竹下登大蔵大臣発言

 

プラザ合意後のドル円はジリジリと200円まで下げると、翌年の1986年1月まで200円を挟んで小動きが続くことになる。

 

しかし1月25日に、≪【要人発言】 訪米中の竹下蔵相、「1ドル=190円でも問題ない」≫(一部の説では「1ドル=190円でもかまわない」)、というロイターのマーケット速報が流れると、要人発言に過敏になっていたマーケットは、あっという間にサポートラインを割って202.92から195.05まで売り込まれた。

 

速報が流れた直後は大手銀行であっても5分間ほどプライスを提示することができなかった。事実上マーケットが消滅したといえる。

 

5分後に少量の取引量限定の条件付で提示された最初のプライスは、既に3円も下であり、通常5銭であったスプレッドは50銭だったといわれる。ロング持ちはそのような不利な取引でも損切りせざるを得なかった。

 

このようにマーケットでは「誰も予期できないアクシデントに巻き込まれることもある」という典型例となった。

 

ブラック・マンデー(暗黒の月曜日)

 

(関連記事)Ep0002【追体験-ブラック・マンデーのS&P500オプション】週刊トレーダーズ・トリビューン

 

Ep0002【追体験-ブラック・マンデーのS&P500オプション】
≪大暴落の前の週は、突然値幅が急拡大したことを除けば、株式市場には差し迫った危機を示すような前兆は大して見当たらなかった≫『デビッド・グレイ』 日経平均株価↓ -14.90% -3055円 ……

 

1987年10月19日(月)に史上最大の株価大暴落が起きた。この大暴落は現在に至っても多くの投資家のトラウマとなっている。またこれ以前から繰り返されてきたバブル発生とその崩壊を学ぶ、最大の教訓ともなっている。

 

1982年8月に776ドルであったのダウ平均株価は、1987年8月には2,722ドルまで上昇していた。このバブル成長期の取引高は3倍に膨れ上がり、世界の株価を平均296%押し上げた。

 

市場には楽観主義が蔓延しており、「株を買って・値上がりするのを待つ」、「株を買うだけで一儲けできる」、という話に乗らないものはいなかった。このときにも過去のバブル成長期同様に、「借金をしてでも株を持て」、「株を持たないやつはバカ」、と言われていたようで、バブル成長期には、大衆によって狂気が狂気ではなくなるのだ。

 

まるで永遠の上昇を続けるかのような大衆の言動や、世間の楽観主義、そして天井を付けた後の高値波乱、これらの動向を注視している投資家は、大暴落の予兆に気が付いていたはずである。そして高値波乱のうちに売り抜けることができたはずである。これから未来にもバブルがやってくるであろうが、そのときは決して大衆に飲まれてはならない。

 

株価の崩壊は予兆もなく、また一夜にして起きたわけではない。前述のように株価の天井は8月に付けており、暴落は2ヶ月間の高値波乱の後に起きた

 

実際の株価の暴落は、ブラック・マンデーの前週10月14日から始まっていた。ブラック・マンデーとは、この一連の暴落の「」の日のことを指す。

 

10月14日(水)
・ダウ平均株価指数 ↓-3.81%

 

10月16日(金)
・ダウ平均株価指数 ↓-4.60%

 

10月19日(ブラック・マンデー)

・ダウ平均株価指数 ↓-22.6% (史上最大の下落率)

・S&P500500種指数 ↓-20.4%

・NASDAQ指数 ↓-11.3% (取引開始54分でシステムがダウンしたためマーケット閉鎖)

・FTSE100種総合株価指数 ↓-10.8%

ダウ平均株価指数は、10月14日から10月19日の取引終了までに-760ポイント、-31%下落した。

 

10月20日(火)

・FTSE100種総合株価指数 ↓-12.2%

・ASX200指数(オーストラリア) ↓-11.4% (工業先進23カ国の内、最少の下落率)

・香港恒生指数 ↓-45.8% (工業先進23カ国の内、最大の下落率)

日経平均株価↓-14.90% -3,836.48円 終値21,910.08円

 

この日の日経平均株価は下落幅・下落率ともに過去最大のものとなった。東証1部銘柄の半分がストップ安した。しかし地球が半周周りNY市場がオープンすると株価は大反転、史上最大の上げ幅となる+102.27ポイント、10月22日(木)は+186.64ポイントと史上記録を更新した。このおよそ2年後の1989年8月、ダウ平均株価指数は完全回復した。

 

ブラック・マンデーが契機となり、ニューヨーク証券市場にサーキット・ブレーカー制度が導入されることとなった。

 

(次号につづく)

 

Ep0037[連載05]【日本のバブルの頂点と崩壊、ポンド危機とソロスのポンド売り】
(目次へ戻る) (前号のつづき) "ドル/マルクで10億ドルのショート?それでポジションのつもりか?今すぐ倍売るんだ。取引に大きな自信を持ってい……

 

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Ep0033[連載01](目次)【マーケットを震撼させた歴史的事件と畏れーチューリップ・バブル、ミシシッピ計画、南海泡沫事件】
”貴族、平民、農民、職工、水夫、人夫、メイド、煙突掃除人、年老いたお針子までも、国全体が経済活動をそっちのけにして、チューリップ球根の投機に浮かれた。最初は「たかが玉ねぎの値段がこんなに高くなるのはお……