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Ep0037[連載05]【日本のバブルの頂点と崩壊、ポンド危機とソロスのポンド売り】

 
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Ep0033[連載01](目次)【マーケットを震撼させた歴史的事件と畏れーチューリップ・バブル、ミシシッピ計画、南海泡沫事件】
”貴族、平民、農民、職工、水夫、人夫、メイド、煙突掃除人、年老いたお針子までも、国全体が……

 

(前号のつづき)

 

Ep0036[連載04]【プラザ合意、竹下登大蔵大臣発言、ブラック・マンデー】
(目次へ戻る) (前号のつづき) "特に分かりやすい例はブラックマンデーだ。この日、これ……

 

“ドル/マルクで10億ドルのショート?それでポジションのつもりか?今すぐ倍売るんだ。取引に大きな自信を持っているなら、相手の息の根を止めに行くべきだ。そのためにいくらでもポジションを取るんだよ。ヤらなきゃこっちがヤられるんだ。わかるだろ?” <ジョージ・ソロス>

 

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日本のバブルの頂点と崩壊

 

1989年12月29日、この年の大納会の日、日経平均株価は史上最高値38,957.44円、終値38,915.87円を記録した。

 

年明け大発会から大幅な下落に転じ、湾岸戦争の勃発、原油価格の高騰、公定歩合の急激な引き上げなどの影響で、1990年10月1日の日経平均株価は20,000円を割り込む。

 

史上最高値を記録した前年の大納会から僅か9ヶ月間で-48.6%下落。日本のバブルは完全に崩壊した。

 

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ポンド危機

 

1992年9月の起きた、英国通貨である英ポンドの大暴落。

 

当時のEC(欧州共同体)各国は、域内統合通貨「ユーロ」に移行するため、EMS(欧州通貨制度)とERM(欧州為替相場メカニズム)を進めていた。これはユーロ導入各国の為替レートの変動を、小幅な一定バンド内に固定し、統合新通貨への移行をスムーズに行うための仕組みだった。

 

英国の通貨である英ポンドも、新通貨ユーロへの移行が決定しており、EMSとERMを実行していた。

 

この頃、1990年10月に東西が統一されたばかりのドイツに資本が流入。その規模は増加を続けており、ドイツの通貨であるマルクは周辺各国より大幅に低金利となっていた。

 

そこで外為市場の投機筋の間では、最も低金利であるドイツマルクを売り、高金利である欧州国通貨を買う、「マルク・キャリートレード」が活発に行われていた。

 

2008年のリーマンショック直前まで「円・キャリートレード」が活発に行われていたように、為替市場において低金利通貨売り・高金利通貨買いのポジションをホールドし続けるこの手のキャリートレードは、通貨トレードの最も古典的な手法である。最大のリスクは為替変動であり、不利な方向へ為替レートが変動を起こすと、為替差損が金利差益を上回り、大きな損失となってしまう。

 

しかしユーロへ移行することが決まっている欧州各国の為替レートは一定バンド内で固定されており、バンドから外れそうになると中央銀行がその都度介入を行いバンド内に戻すために、「マルク・キャリートレード」に於ける為替レート変動の問題は皆無に等しかった。

 

このようにキャリートレードを行う投機筋にとっては都合が良い条件が揃っており、「マルク・キャリートレード」は今まさに旬で最も「おいしい」オペレーションとなっていた。

 

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ソロスのポンド売り

 

このような状況の中、特に英ポンドに定められたバンドは実勢から遥かに乖離していると考えたジョージ・ソロスは、「マルク・キャリートレード」により買われ過ぎた英ポンドの巻き戻しを狙い、大規模なポンド売りを仕掛けた

 

ソロスのポンド売りは連日連夜行われ、それは途方もない規模であった。1992年9月に入ると、ソロスのポンドへの売り浴びせは激しさを増していった。BOE(英国中央銀行)も連日連夜の大規模なポンド買い介入を行いソロスに対抗、まさに「中央銀行vs投機筋」の全面戦争となっていった。

 

当初は「最終的にBOEはソロスの売りを撃退できる」と考え「マルク・キャリートレード」を進めてきた投機筋も、やがて積んできたポジションの「」を始めた。ソロス側へ付き始める投機筋は日増しに増え、BOEは追い込まれていった。

 

・9月15日
BOEの大規模かつ断続的なポンド買い介入により、マルク/ポンドはバンドぎりぎりのラインを維持していた。

 

しかしソロスとソロスに続く投機筋による激しいポンド売りにより、ERMで定められた変動制限ライン(上下2.25%幅のバンド)をついに突破。バンドのすぐ外側に集中していた大量のポンド売りオーダーが執行され、ダム決壊のごとくポンドは暴落を始めた。

 

・9月16日午前
ポンド売りは止まらず、BOEは投機筋のポンド買い戻しを即すため、公定歩合を10.00%から12.00%へと、2.00%の大幅な引き上げを実施。

 

・9月16日午後
午前中に2.00%もの大幅な公定歩合の引き上げを発表するもポンド売りは止まず、BOEはその日のうちに更に公定歩合を3.00%引き上げ15.00%とした。この日は、ブラック・ウェンズデー(暗黒の水曜日)と呼ばれている。

 

・9月17日
昨日の5.00%もの公定歩合の引き上げにも関わらず、ポンド売りは止まらなかった。ポンド売りを止める手段が尽きた英国財務省とBOEは、正式にERM脱退を表明しユーロ導入を断念した。ポンドは英国独自の通貨として変動相場制へと移行、ポンドはその後も下落を続け、1995年に底を付けた。

 

ポンド危機は「マルク・キャリートレード」崩壊の一部、とも言える。他の欧州各国通貨も決して無事ではなく、ERMの予定は大幅に変更せざるを得なかった。

 

その後にも英ポンドは、欧州大陸の統合通貨ユーロを導入するチャンスはあったが、結局英国のユーロ導入が実現することはなかった。現在(2019年7月)英国は2016年に実施された「イギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票」により、EUから離脱(いわゆるBrexit)することが決定している。

 

(次号につづく)

 

Ep0038[連載06]【アジア通貨危機、ロシア危機とLTCM破綻、9.11アメリカ同時多発テロ事件】
(目次へ戻る) (前号のつづき) “LTCMの創業者たちが信じる市場では、外れ値やファッ……

 

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Ep0033[連載01](目次)【マーケットを震撼させた歴史的事件と畏れーチューリップ・バブル、ミシシッピ計画、南海泡沫事件】
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