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Ep0034[連載02]【ノーザン・パシフィック鉄道株買い占め事件、ブラック・サーズデー、ブラック・チューズデー】

 
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Ep0033[連載01](目次)【マーケットを震撼させた歴史的事件と畏れーチューリップ・バブル、ミシシッピ計画、南海泡沫事件】
”貴族、平民、農民、職工、水夫、人夫、メイド、煙突掃除人、年老いたお針子までも、国全体が経済活動をそっちのけにして、チューリップ球根の投機に浮かれた。最初は「たかが玉ねぎの値段がこんなに高くなるのはお……

 

”株投機は世界で最も魅力的なゲームだ。しかし怠惰な人、感情をコントロールできない人、それに手っ取り早く儲けようなどと思っている人は、絶対に利益を上げることはできない” <ジェシー・リバモア>

 

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ノーザン・パシフィック鉄道株買い占め事件(1901年恐慌)

 

NY証券取引所の大型株、ノーザン・パシフィック鉄道(現BNSF鉄道)株の暴騰に端を発した混乱。

 

5月、当時唯一の競合他社であるユニオン・パシフィック鉄道の社長、エドワード・ヘンリー・ハリマンが、ノーザン・パシフィック株の買い占めを行った。

 

買い占めにより同社の株価は暴騰、5月3日(金)に73ドルだった株価は、5月6日(月)には143ドル、5月7日(火)には200ドルを超えていく。逆に大手証券会社などの多くの投機筋はこれを「割高」と判断し、大量の空売りを実行した。

 

しかしハリマンによる買い占めは収まらず、5月8日(水)午後に株価はついに1000ドルに達した。そのために多額の追証が求められたショート筋は、他株を精算することで補填。この大量の決済がNY株式市場全体の大暴落を引き起こした。大暴落に連れたノーザン・パシフィック株はこの日、結局150ドルで引けた

 

ブラック・サーズデー(暗黒の木曜日)

 

1929年10月24日(木)に起こった、NY証券取引所の株価大暴落。最初の暴落は1929年10月24日木曜日に起こり、壊滅的な下落は10月28日(月)と翌29日(火)に起こった。その後の株価は1ヵ月間下げ続け、世界規模の長期的経済恐慌(世界大恐慌)に発展した。

 

第一次世界大戦後の米経済は、「永遠の繁栄」と呼ばれる長期上昇トレンドに乗っていた。1925年頃から巷で「株で一儲けした」という話が出始め、やがて誰もが借金をしてまで株投資に手を出し、投機資金は膨張を続けた。ダウ平均株価は5年間で5倍まで高騰していた。

 

ジョン・F・ケネディの父、ジョセフ・P・ケネディがウォール街の靴磨きの少年に株の購入を勧められたことから、投機熱は最高潮まで達しており近いうちの大暴落を予見し、すぐに株から手を引き身を守った、という話は有名である。

 

ダウ平均株価は1929年9月3日に史上高値381.17ドルを記録、その後の1ヶ月で300ドルまで大幅に調整、その後は半値戻しと同値押しという高値圏での乱高下となっていた。

 

記録よると、1929年10月24日(木)のNY証券取引所の寄り付きは平穏だった。しかし10時25分、ゼネラルモーターズ株が突然80セント急落。数分の猶予のうちに、更に大量の売りが出されると、あっと言う間に全銘柄で売り一色となった。この数分の猶予のうちに決済できなかった買い手は、もはや逃げることができなかったという。

 

この日に自殺した投機筋は11人に上り、ウォール街には400名の警官隊が出動し警戒に当たった。シカゴの取引所は閉鎖された。

 

翌日の25日(金)は、米国の崩壊を懸念したJPモルガンの呼び掛けに応じた銀行家や、早くから大暴落を察知し大量の空売りを仕掛けていたジェシー・リバモアなどの投機筋が、売増玉の禁止や買い支え協定に合意、すると株価は微下げに留まり、平穏を取り戻した。

 

しかし週末の号外新聞でNYの株価大暴落が全米に知れ渡ると、28日(月)は寄付きから売り注文が殺到し、再び暴落を始める。結局、終値は260.64ドル、12.82%安で引けた。

 

ブラック・チューズデー(暗黒の火曜日)、または、悲劇の火曜日(Tragedy Tuesday)

 

翌日の1929年10月29日も暴落は止まらず、この日に取引所システムは事実上、壊滅した。寄り付き直後からの激しい売りで、取引所は午前のみで閉鎖された。

 

この日のRCA株は40.25ドルから26ドル、ゴールドマン・サックス株は60ドルから35ドル、ファースト・ナショナル銀行株は5,200ドルから1,600ドルになった。ダウ平均株価の終値は230.07ドルのマイナス1.73%だった。

 

9月3日の最高値381.17ドルから一月半でおよそ40%下落したことになる。この数営業日にわたる危機で失われた資金は約300億ドルと試算され、これは米国が第一次世界大戦で消費した戦費の1.3倍、当時の米国の国家予算の10倍にあたる。

 

世界大恐慌が底を付けたのは1932年7月8日で、ダウ平均株価は41.22ドルに達した。

 

(次号につづく)

 

Ep0035[連載03]【ニクソン・ショック、第一次オイル・ショック、第二次オイル・ショック】
(目次へ戻る) (前号のつづき) “ポジションを持ち続けていたら、数十万ドルの損失になっていたと思いますね。大引けまで相場は暴落し、ボラティリテ……

 

 

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Ep0033[連載01](目次)【マーケットを震撼させた歴史的事件と畏れーチューリップ・バブル、ミシシッピ計画、南海泡沫事件】
”貴族、平民、農民、職工、水夫、人夫、メイド、煙突掃除人、年老いたお針子までも、国全体が経済活動をそっちのけにして、チューリップ球根の投機に浮かれた。最初は「たかが玉ねぎの値段がこんなに高くなるのはお……